朗らかな笑顔で周りの人を和ませる麻生要一郎さん。実家は祖父の時代から続く建設会社。ただ、家業は継がず、突然島の宿の主人に。そう思ったら、料理の世界へと活躍の場を広げます。そして、今は執筆をメインに活動中。その途中で、母親の闘病や養母の介護もありました。長年身近な人の世話を続けてきた麻生さんは「健康であることは自分のテーマ」と話します。そんな麻生さんに、毎日を健やかに過ごすための小さな心がけを聞きました。
プロフィール
あそう・よういちろう/1977年茨城県生まれ。祖父の建設会社を継いだ後、東京・新島で宿「saro」を経営。その後、弁当のケータリングやレシピ提供など料理の仕事を中心に活動。現在は執筆業がメインに。『僕のいたわり飯』『僕の献立 本日もお疲れ様でした』『365 僕のたべもの日記』(いずれも光文社)などの著書がある。本屋を営むパートナーと愛猫のチョビと暮らす。
「麻生さんは、文章を書いたほうがいいと思うよ」
―私はお弁当がきっかけで麻生さんを知ったのですが、もともと料理の仕事をするようになったのはいつ頃だったのでしょうか?
2009年から、ある不動産会社と一緒に東京の新島で宿をやっていたんです。海がすごくきれいなところで、ここで宿をやるんだから、ぼーっとゆっくりしながら、おいしいものが食べられる宿がいいなと思って、頑張って料理を作って出していました。そしたら食事が割と評判になって、船や飛行機に乗っていろんな人が来てくれるようになりました。島はすごく長閑だし、宿の仕事は大変だったけど楽しくて、自分もまだまだここにいるんだろうなと思っていたんですが、6回目の冬を迎えたときに、建物の契約更新ができず、あっけなく宿が終了になりました。その後、島を出て、縁あって都心で暮らし始めるのですが、そこでもやっぱり食を介して何かできたらいいなとぼんやり思っていた時、知り合いの編集者が「時間あるんだったら、撮影用にお弁当を作って持ってきてよ」と声をかけてくれたんです。そのお弁当を食べてくれた人がまた別の現場でお弁当をオーダーしてくれるようになり、そんなふうに数珠繋ぎで広がっていきました。
―そこからお弁当のケータリング、レシピの監修など料理の仕事がメインになったんですね。
そうですね。「料理家」と呼ばれるようになったのはそれがきっかけでした。自分では「よし、料理家になろう!」と目指していたわけではなかったですが、いろんな人のリクエストに応えているうちに自然とそうなった感じでした。お弁当がツールになっていろんな人を繋いでくれましたね。
―そして今、料理とはまた別の文筆家として活動されています。
初めて料理の本を出す時に、写真家も装丁家も好きな人を選んでいいよと言われたんです。それで、写真は友人の、かおたん(この日のフォトグラファーの山田薫さん)に。装丁は編集者をしていたパートナーが緒方修一さんを勧めてくれました。緒方さんはちゃんと原稿を読んで、装丁をしてくれる方と聞いていたんです。2冊目の装丁も彼にお願いをしてしばらくしてから、緒方さんがパートナーの本屋にふらっと遊びに来て「麻生さんは、文章を書いたほうがいいと思うよ」って、おすすめのエッセーをぽいっと置いて帰ったんです。
―麻生さんには文才があると気づかれたんですね。
どうでしょう(笑)。でも、緒方さんがそういうなら、文章を書き続けたほうがいいんだなと思うようになりました。そこから、緒方さんがよく仕事をしている編集者さんをつないでくれたりして、だんだん執筆の依頼が増えていったんです。2年ほど前から原稿の仕事が忙しくなってしまい、料理と両立が難しくなって、文章を書く仕事を主軸にしています。
―麻生さんは自分からというよりも、求められるところへ転がるように人生を進んでいく印象があります。
そうそう。自分で「こうなりたい」とあんまり思ってなくて、つい、思ってもない方に行ってしまうんです(笑)。でも、人に求められたら精一杯応えたいと思う性分。嫌なことはやりたくないけど、僕で役に立つならって。
―では、しないことは決めていますか?
”誰でもいい仕事”はしないかな。
40代から体を動かすのが楽しくなった。
―休みの日はどう過ごしていらっしゃいますか?
パートナーの店が月・火曜休みなので、自分もそこを休みにしているつもりなんですけど、仕事で関わっている人はだいたい平日は働いていて連絡が来るので、なんとなく休みがうまく定ってないんです。
それに、書く仕事をしていると、何をしていても「これは書けそうだな」と考えちゃって、頭を真っ白にする時間っていうのがなかなか取れないのが悩みでした。でも、一年半ほど前に始めたピラティスがすごくよくて。体を動かしている間は携帯を触れないので、自然と仕事から離れられますし、頭も空っぽになってリフレッシュできます。
―始めるきっかけは何でしたか?
以前、すごくハードな料理の仕事が続いた時に、腰を痛めてしまったんです。鍼や整体にも行ってみたけど、根本治療にはなりませんでした。そんな時に友人の原沙知絵さんがピラティスをお薦めしてくれたんです。原さんのセルフケアの本を読むと、逆さ吊りになった写真があって、とてもじゃないけど自分はできないかもと自信がなかったんですが(笑)、先生に指導してもらいつつ簡単な動きを繰り返していると、驚くほど体がすっきりしたんです。姿勢が良くなった気もするし、視界もクリア。運動が苦手でも楽しくできそうだなと思って、週に1回定期的に行くようになりました。
―長く続けるコツはありますか?
まずは個人レッスンを予約するのをおすすめします。行く前は「ちょっと億劫だなぁ」と思うんだけど、先生の時間を押さえているから休むわけには行かない。重い腰を上げてレッスンを終えると、やっぱり来てよかったなって思う。トレーニング中はなるべくストレスを感じたくないので、luluremonのウエアを愛用しています。生地が柔らかくて気持ちがいいんですよ。
ピラティスを始めて、もっと体を動かしたくなってパーソナルトレーニングにも通うようになりました。ピラティスとパーソナルトレーニングを習慣にしていると筋肉がついたからか、体が疲れにくくなりました。疲れてもちょっと休むとすぐ回復する。ダルくて何もやる気が起きないということがなくなりました。
─疲れにくいと思考も前向きになるのでいいですね。
そうなんです。あと、日光にあたることもすごく大事だと思っているので、今年から歩く時間を意識して作っています。1日1回買い物ついでに、近くの大きな公園を通って、ついでに郵便局や銀行に行ったりして、往復1時間以上。歩くときは友人の森健君のブランドのFOOTWORKSのサンダルを履いています。このサンダルは履くことで重心を補正して、体の歪みを整えてくれるそうで、愛用してからずいぶん体調が良くなって、頭痛もなくなりました。
―リラックスするためにしていることはありますか?
夜と朝2回お風呂に入っています。島の宿を営んでいたときは1日4回入ることもあったぐらい(笑)。水を見ているとリラックスするのでシャワーではなく、必ず湯船に浸かります。お風呂に入っている間は音楽を聴くことが多いです。最近ハマっているのは坂本美雨さんが参加しているアルバム『TM NETWORK TRIBUTE ALBUM -40th CELEBRATION-』。美雨ちゃんが歌う「タイムマシーン」と、満島ひかりさんの「ELECTRIC PROPHET(電気じかけの予言者)」という曲が特に気に入っています。
課題をくれる友人がいる幸せ。
―いろんな場所でいろんな人の声に応えてきた麻生さん。今後どうありたいですか?
今年の夏に住まいが変わる予定で、心地のいい環境が整いそうなので、そこで執筆業に専念したいと思っています。これまではどうしても外に出て誰かの時間に合わせてしまう生活だったので、なるべく家にいて書く時間に当てようと思っているんです。
僕は小説家の角田光代さんに時々仕事の相談をするんですが、彼女はだいたい朝8時から夕方5時まで必ず机の前に座って、仕事をするんだそうです。だんだん僕も書く仕事が増えてきたので、彼女を真似て、時間をきちんときめて机に向かおうと思っています。自分自身、健康で書き続けるためにも、生活のペースを均等にしたいなと。
そして、少し先の目標として、小説のような書き物にも挑戦しようと思っています。登場人物や設定をちょっと変えて、経験したできごとを綴れたらと。これも自分から考えたというよりも、先日友人の紹介で初めてお会いした編集者の方が提案してくださったんです。その方は僕の著書をすべて読んでくれていて、「麻生さんは自分の人生をフィクションにして書いてみたらいいよ」と言ってくれたんです。それを角田先輩に言ったら「せっかくのチャンスだから挑戦してみたら良い!」とおっしゃって。初めてのことなので時間はかかると思いますが、しっかり向き合っていけたらと思っています。
書く仕事は一人。自分を律しながら淡々と続けることは大変です。でも、長い付き合いの編集者や作家の友人などが、いろいろ課題を与えてくれたり、アドバイスをくれるのがうれしいですね。そういう人たちが周りにいることはすごく幸せ。「麻生さん、やってみない?」と言われるうちは頑張ろう。そう思っています。