鎌倉市大船で三代続く漢方薬局に生まれた杉本格朗さん。祖父、父と同じく漢方の道に進み、一人ひとりに合った漢方や健康食品、養生法を提案しています。また、クラシックな漢方の世界をより身近に感じてもらうべく、都心に出張漢方所を開いたり、漢方をベースにした商品を開発したり、本を出版するなど幅広く活動しています。そんな杉本さん自身が、心と体の健康を保つために大切にしていることは何でしょうか。豊かな緑にあふれた都心の空中庭園の真横にある出張相談所〈杉本漢方堂 Soil〉で話を伺いました。
プロフィール
すぎもと・かくろう/1982年生まれ。1950年創業の漢方杉本薬局代表。大学では染色や現代美術を学び、2008年に実家の漢方杉本薬局に入社。
2021年に表参道GYRE4Fのeatrip soil内に出張相談所「杉本漢方堂 Soil」を設立。
漢方の長い伝統と奥深さに触れ、店頭での漢方相談を主軸に、生薬の薬効、色、香りの研究をしている。漢方の視点から世界の文化を理解し、暮らしを豊かにする活動をライフワークとしている。坂本龍一氏主宰のイベント「健康音楽」、「逗子海岸映画祭」などでワークショップやイベントを展開。漢方を日本の文化の一つとして、JAPAN HOUSEやThe Japan Foundationなど、海外での講演も行っている。また、漢方の枠を越えて、生薬を使ったインスタレーションを制作するなど、さまざまな分野で幅広く活動している。
漢方監修:G20大阪サミット「配偶者プログラム」、温泉宿「SOKI ATAMI」 など
著書:「鎌倉・大船の老舗薬局が教える こころ漢方」 (山と溪谷社)
HP : https://sugimoto-ph.com/
Instagram : @sugimoto.ph @sugimoto.ph_soil
コンセプチュアルな漢方の世界に心ひかれて。
―1950年から続く漢方薬局の三代目として活動している杉本さん。幼い頃から漢方の道に進もうと思われていましたか?
いやいや、まったく継ぐつもりはなかったんです。僕自身はものづくりに興味があって、大学では染め物を学びました。卒業後は地道に創作活動をしていたんですが、実家から「人手が足りなくて続けられないかも」と言われて。それが26歳ぐらいの時。祖父が始めた家業を閉じることを想像し、大事なものが失われてしまう感覚と感情的な抵抗が生まれました。
最初は経理や事務などがメインの仕事でした。ある時、祖父や父がお世話になっていた漢方の先生が僕を勉強会に誘ってくれて、どのようなものかと行ってみたら、すごくおもしろかった。それで一気に漢方に興味が出て、勉強を始めて、次第に店頭で漢方相談をしたり、薬を調合するようになりました。
ーどういうところがおもしろいと感じましたか?
漢方の基礎になっている陰陽論や五行説などの自然哲学の考え方ですね。自然界のあらゆるものが、陰と陽の要素に分けられ、自然界に存在するすべてのものが「木、火、土、金、水」という5つの要素で成り立っている。陰陽論は、陰と陽どちらかが良くてどちらかが悪いということではなく、どちらもなくてはならない存在であり、そのバランスが大事だと教えてくれます。また、五行説では5つの要素が互いに助け合ったり、抑制したりしてバランスを保っていて、それぞれの要素に特徴があり、季節や臓腑、色や味などさまざまなことの関連性を説いています。陰陽五行説の法則や関係性を踏まえて、一人ひとりの状態や症状を見て、その人に合う治療法を考えたり、薬を調合するのが漢方なんだと知って、とても腑に落ちました。創作活動をするときにコンセプトをすごく大事にしますが、漢方のアプローチもすごくコンセプチュアルに感じられました。それから、データや数字だけに頼るのではなく、人間の感情や数値化できないことも大切にするところが性に合っています。
ー漢方の道に入って勉強を続けていく中でどんな気づきがありましたか?
漢方の学びは終わりがないことがわかりました。70、80代の漢方の先生も、まだまだ勉強をされているし、きっと僕も勉強・研究が続くんだろうと思っています。
僕たちが今、基礎としている漢方の考え方は、昔の人たちが人間と自然の関係を見つめながら観察・実践・研究を繰り返して培ってきた理論で、それを確立するまでにたくさんのトライ&エラーがあった。そこで得た知識を今の時代に伝承してくれたから、僕たちは新しいトライができる。そう考えると、漢方の知識や考え方を次の世代へ繋いでいくことも自分の役目だという意識も芽生えました。
ー現在は大船にあるご実家の薬局だけではなく、表参道にあるグローサリーショップ〈eatrip soil〉にも出張漢方所を開いています。こうした場を持つきっかけは何でしたか?
こんなに歴史があって、暮らしの中で継承されてきたのに、現代ではあまり浸透していません。今は現代医学が中心で、体調を崩したら病院に行き、そこで処方された薬を飲んだり、それでもよくならなければ手術をする人が多いと思います。そういう選択肢があることはもちろん大事ですが、その手前でできること、並行してできるケアがもっとあると思っています。食事、運動、睡眠、入浴など、日常生活を整えることはもちろんですが、サプリメントや漢方、鍼灸や整体、カウンセリングなどを利用する。そういう考え方が広まるといいなと思っています。
ただ、「漢方薬局って何だか入りにくいし、難しいことを言われて高い薬を買わされるイメージがある」という人も多いと聞いていましたから、まずは正しく触れてもらえる場所があるといいなと思っていました。
2021年に、〈eatrip〉の野村友里さんが「eatrip soilの一角にどう?」と声をかけてくれたことがきっかけで、週に2回の出張漢方所を開くことにしました。
漢方はスパイスやハーブと同じように食事の延長で取り入れられるものだと思っていて、漢方杉本薬局では、料理に使えるシーズニングや薬膳スープパック、チャイなどオリジナル商品を作っています。eatrip soilには食材や調味料がたくさん揃っていて、様々なジャンルの人々も行き交っています。商店街で買い物をするように、ちょっと「漢方の話を聞いてみようかな」と思ってもらえたら嬉しいです。
―店頭で行っている漢方相談では具体的にどのようなことをされていますか?
漢方では四診という診断方法があって、患者さんの舌を見たり、脈を測ったり、症状を詳しく聞いたりしています。お一人30分から1時間ほど。特に話を聞く時間は大事にしています。些細なことも含めて、その人の情報がたくさんあったほうが薬の精度を高めることができます。話すことで心が軽くなることも大切なことです。僕自身も、メンタルトレーナーさんのところに定期的に通っているのですが、そこでは深刻な悩みを打ち明けるというよりも、最近あった出来事を好きなように喋ってます。家族や友人に話しづらいことも、ここなら話せるという場所があることが心身のケアの助けになります。
アナログなコミュニケーションで自分を癒す。
―杉本さんは心と体の健康を保つためにどんなことをしていますか?
まずは字を書くことですね。以前、精神科医の友人から「自分が気持ちいいと思うことをリスト化しておくといいよ」って教えてもらって。そう考えたら、自分は字を書くことが好きだなと気づいて、日常で書くようにしています。出張漢方所では問診した後に、大船の漢方杉本薬局で調合したお薬を後日郵送するのですが、そこにメッセージを一言添えています。願掛けとまではいかないけど、少しでも良くなってもらいたいっていう気持ちを込めて。ただ、1文字でも気に入らなかったら、書き直したくなるので、一枚書きあげるのにすごい時間がかかることもあります(笑)。でも、納得すると自分の気持ちも落ち着き、気分がよくなります。字を書いてる時は集中するから、他のことを忘れられるのもいいんでしょうね。これで心の安定を図っている気がします。
書く時は、友人のお父さんが昔作っていた万年筆を使っています。染織の先生に「手紙を書くときはきちんとした筆記具で書きなさい」と言われたことが頭に残っていて、その習慣ですね。万年筆はインクさえ補充すればずっと使えるし、カリカリッとした書き味も気に入っています。
―他にどんなことを?
フィルムカメラで写真を撮るのも、自分の心のケアにつながっています。現像するまできちんと撮れているかわからないけどそれがいいなって。できあがった写真を見ると撮れてなかったり、「ブレてるな~」と思うこともあるんだけど(笑)、その中に1枚だけ、すごく面白く撮れた写真があったりするんですよ。僕はものづくりが好きだから、クリエイティブなことしてる時が自分らしくいられる感じがするし、友達を撮影した写真を渡したら喜んでもらえたり、コミュニケーションツールとしても役立っています。
カメラは長年漢方薬局に通ってくださっている方から譲り受けたもので、自分の手元に来てからよく写真を撮るようになりました。自分が年老いたら、このカメラもきっと次の誰かに譲ると思います。だから、預かってると言うのが近いかな。
カメラをお預かりしている方からレコードプレイヤーも譲っていただいて、それをきっかけにレコードで音楽を聴くようになりました。レコードには収録時の細かい音も入っていたりして豊かで、同じ曲でもまるで違う。圧縮されてない音って、こんなに奥行きを感じられるのかと驚きました。薬でも必要な有効成分だけを抽出して製薬されるものもありますが、漢方は植物の細かい成分も含めて丸ごといただきます。そういうところもレコードと漢方薬は似てる気がして好きなのかもしれません。
大船の漢方薬局ではBGMとしてレコードをかけています。僕自身、いい音を聴いている状態ってお風呂に入る感覚に近くて、脱力してリラックスできる。漢方の相談に来てくださる方にもゆっくり穏やかな気持ちで過ごしてほしいなと思っています。
レコードは京都のレコードショップの方が毎月送ってくださるんです。「こういう感じがいい」とかある程度リクエストしますが、あとはお任せで。「今月はどんな音楽かな?」と楽しみでもあります。
自然と調和した漢方の哲学を世界へ。
―今後どんなことをやりたいですか?
今、漢方の基礎について日本語と英語でまとめた書籍を作っていて、それが完成したら、いろんな国で講演をしたいなと思っています。
バイリンガルで本を作ろうと思ったのは、漢方の知識や東洋思想、健康にまつわる話を海外でももっと伝えたいと思ったからです。漢方のように何千年もの歴史があって理論に基づいた代替医療って世界的にもあまり例がありません。現代医療と同じく治療に役立つものがあることを、日本だけでなく世界の人にも知ってもらいたいと考えています。
コロナ前は海外で漢方の講演会を開いたり、ワークショップをすることもありましたが、興味は持ってくれるものの、一度の講演では深い話まではたどり着けないし、日常に取り入れてもらうにはさらにハードルが高い。でも、漢方の考えや知識が定着したら、現代医学以外の選択肢が広がって、より一人ひとりにあった健康な心身のケアができるのでは、と。健康な人が増えると、心にも余裕ができて、平和な社会が作れるんじゃないかと本気で思っています。
海外では講演だけではなく、現地の方の相談にも乗れたらと思っています。日本と気候が違うので、乾燥した地域の人はこういう薬が合うなとか、寒い地域の人にはこういう悩みがあるんだなとか、新たにわかることもあると思います。現地で親しまれているハーブや植物医療などと組み合わせたらどうなるんだろうとか、新しい発見がたくさんありそうでワクワクします。流行病で世界が混乱に陥っても、さまざまな医学の知識を集積して取り組めば、より助けられるケースがあると思います。なので、これからも自分なりに見聞を広げて、研鑽を積んでいきたいです。