東京・東日本橋にあるパン屋さん「ビーバーブレッド」のオーナー・シェフ、割田健一さん。割田さんが作るパンはとりわけ食事に合うものが多く、一般のパン愛好家だけでなく、料理人にもファンが多いことで有名です。パン職人の仕事は朝が早く、作業中は立ちっぱなし。生地を捏ねたり、重たい材料を運んだりと、体力も必要とします。日本のパン業界を牽引する割田シェフは、どのように自身の体と心に向き合っているのでしょうか。
プロフィール
わりた・けんいち 1977年生まれ。フランスパンの先駆け的存在「ビゴの店」プランタン銀座に入店。2007年、製パン技術の世界大会「モンディアル・デュ・パン」の日本代表に選抜。2011年より「銀座レカン」グループのブーランジェリーシェフを務める。2017年に自身の店となる「ビーバーブレッド」を東京・東日本橋にオープン。著書『「ビーバーブレッド」割田健一のベーカリー・レッスン』(世界文化社)など。
50代で働き方をリセット
しようと思ってるんです
―2017年にオープンした「ビーバーブレッド」は近隣住人の方や近くで働く人にとって「いつものパン屋さん」として親しまれています。現在は自身の店舗以外にもさまざまな場で活躍されていますね。
そうですね。2022年は姉妹店のレストラン「bouquet」を東日本橋に、2023年8月はJR駅構内にあるパン屋「モグラブレッド」を監修しました。10月には虎ノ門ヒルズに「ビーバーブレッドブラザーズ」をオープン。ほかに商品開発、メディアへのレシピ提供やパン教室もやっています。
─独立前、こうなる未来を想像していましたか?
虎ノ門ヒルズの出店まではさすがに予想していませんでしたが(笑)、それ以外のことはだいたい想像していました。仕事だけでなく、私生活も含め「こうなりたい」という夢をこれからも実現していきたいなと思っています。
─今後の目標は何でしょうか?
今、46歳なのですが、あと5、6年のうちに一度、働き方をリセットしようと思っているんです。というのも、気力や体力、発想力などクリエイティブは40代でピークを迎えると思うから。50代になると、新しいことを生み出す力や時代性を掴む感覚が今まで通りにはいかないから、新しい方向性を作り始めるためにいろいろ見直したいなと。
─では、50代になったら?
同世代向けの店づくりをしようと思っています。40代でオープンした「ビーバーブレッド」は子どもから大人まで広く愛される「サザエさん」のようなパン屋さんを目指しましたが、全く違った店を作ってみたい。仕事だけじゃなくて、どういうところに住んで、どういうものを着て、どういう車に乗るか、暮らし方も見直そうと思っています。最近はずっとそういうことを考えてますね。
─割田さんは一人のパン職人としてだけでなく、従業員約30人を抱える経営者でもあります。仕事中、一息つく瞬間はありますか?
僕ね、サボり上手なんですよ(笑)。家に帰ったら一切仕事のことは考えません。その分、朝起きてシャワーを浴びたら、すぐに仕事モードに切り替わりますね。だらだら仕事するということがないです。
時々、締め切りに追われることもあるけど、人間が働ける容量は決まってると思っているから、順番にやっていくしかないと思って、必要以上に慌てないようにしています。自分のペースを大事にしないと、いいものはできないと思うから。
自分と向き合う時間を
大切に
―日々のメンテナンスで気を付けていることはありますか?
食にまつわる仕事をしているので、歯には気を遣っています。今は月に一度クリーニングとメンテナンスを兼ねて歯医者に通っています。手をよく洗うので、乾燥を感じたらハンドクリームもこまめに塗るようにしています。
体に負担がかかる仕事なので、整骨院は週に一度通っています。マッサージと電気治療を1時間くらい。職業柄、長時間前傾姿勢になっているのでそれを改善するために最近は月に一回程度筋膜リリース専門のサロンも行っています。びっくりするぐらい痛いんですけど。
─疲れにくくなりますか?
そうですね。あと、施術直後は小顔になります(笑)。そして、普段は15000歩以上歩くようにしています。整骨院の先生に勧められたんですよ。ウォーキングは全身運動だから、それが一番体の凝りをほぐすって。立ちっぱなしとか、座りっぱなしとか長時間同じ姿勢でいることが体に負担がかかるんですよね。音楽を聴きながらとか電話しながら歩くこともありますが、ただ空を眺めているだけということもあります。飲んだ日も歩いて帰ってますよ。「なんか今日はスカイツリーがデカいな」と思ったら、家と全然違う方向に帰っていたこともありました(笑)。休日も1時間半くらい歩くんです。川沿いを歩いて、コーヒーを買って、ベンチに座って、ぼーっとして。それでまた来た道を戻って。朝歩いてシャワーを浴びて整骨院にいくのが休日のルーティン。朝、1時間半歩くと、その日は「いっちょあがり」って気分になるんです。さらに歯医者に行けたらベストですね。
─パンを作る以外に、レシピ開発の依頼やお店の監修など考える仕事も多いですが、いいアイデアはどうやって生まれますか?
机に向かい続けてもいい案は出てこないから、空や建物、植物を見たりして、なんとなく頭に浮かんだ言葉を紙に書き出します。手を動かしていると、だんだん頭がクリアになって、思考が活性化するんです。書く時は鉛筆がいいですね。何がいいって、鉛筆削りで削る感覚に癒されるんですよ。よく削れた鉛筆で文字を書いていると気持ちがいいですね。
─考え込んだり、思い悩むことはないですか?
それはありますよ。でも、1人でずっと悩んでも仕方ないと思う。もともと僕は思い詰めてしまうタイプなんですが、考え過ぎたところで解決するわけではないから、そういうのはやめることにしました。極端な話、一日中考え事をして過ごすわけにはいかないですし、一つのことに捉われて不機嫌でいるほうがいやなので、「考えても仕方ない」と切り替えます。仕事中あちこち移動して休憩したりね。頭に来たことは意外と根に持ったりしますけど(笑)、それもおもしろおかしく聞いてくれる友達に話して、うまく消化します。
勝ちだけじゃない、
負けない方法を取る。
僕自身、悩まないというよりも、失敗しないように意識していることはあります。
─それはなんでしょうか?
完全な「勝ち」ではなくても、負けない方法はあると思うんです。宮本武蔵は自分より強い相手だとわかったら戦わなかったと言われていますよね。それって完全な負けではないじゃないですか。だから、仕事も負けを認めず、勝つまで続ければいいと思ってるんです。自分の場合「お手上げです」って一度負けを認めてしまったら、そこから気持ちを立て直す方が難しいから、そうならないように。人から見たら「失敗」に思われるかもしれないけど成功だと思えるまでやり続ければそれは失敗にはならない。今日はダメだったけど、明日挽回できればいいというマインドで。その気持ちさえ持ち続ければ、どんなことがあってもへこたれにくくなると思います。
─目の前のことに一喜一憂するのではなく、中・長期的に物事を見るということでしょうか。
そうですね。僕は若い頃、毎日のようにつまづいていました。失敗しすぎたから、もう失敗を失敗だと思ってないだけなのかもしれないけど(笑)。一度、何かを成し遂げると意外と世間は優しいから、失敗も恐れないようになったのかもしれないですね。
─どういう時に成功を感じられますか?
欲しいものが買えた時かな。
─では、今欲しいものは?
たくさんあります。それが仕事を頑張れるエネルギーになっているのかもしれないですね。