セルフラブ/セルフケアをテーマにした著書『今日もよく生きた』を上梓した文筆家の佐久間裕美子さん。40代まで駆け抜けるように働き、”気合いで乗り切る”を当然としてきた日々から、コロナ禍や人との別れ、体調の揺らぎを経て、「休む」、「心の声を聞く」、「助けを求める」ことの大切さを感じるようになったと言います。セルフラブ/セルフケアをめぐる思考の変遷、落ち込んだときに自分をケアするツールボックスの作り方、そしてこれからの社会に必要な支え合いのかたちまで。「働く」と「ケア」の現在地を聞きました。
プロフィール
さくま・ゆみこ/ライター/アクティビスト ニューヨークを拠点に政治、社会、文化について考察・執筆する。著書に『今日もよく生きた』(光文社)、『みんなで世界を変える!小さな革命のすすめ』(偕成社)、翻訳書に『編むことは力』(岩波書店)など。Sakumag Collective主宰。ZINE最新作は『乳がんになってたくさんの天使と出会いながら自分は自分としてしか生きられないと改めて確認した旅の記録』。
がむしゃらの生き方で見えてきた、ケアの必要性。
―『今日もよく生きた』は、体のケアだけでなく、メンタルの揺らぎについても赤裸々に語られていました。また、心や体の調子が良くない時に、自分を癒す“ツールボックス”を持っておこうというメッセージに、とても共感したんです。この本を出そうと思ったきっかけは何でしたか?
前作『ピンヒールははかない』(2017年)を書いた頃の私は、「とにかくがむしゃらに働いてがむしゃらに遊ぶ!」みたいなモードだったんです。寝不足でも、二日酔いでも、気合いで押し切ればなんとかなると思っていたところがあって。でも、年を重ねるうちに、人間の心も体もそんな風にはできていないことに気がついて、ずっと心にひっかかってて。
そんな時に、光文社の編集さんから「『ピンヒールははかない』の続編を出しませんか?」と声をかけてもらいました。当時、コロナ禍真っ只中で、セルフケアやセルフラブについて考えたことを書きためていたものがあったので、それをまとめてみようと。最初は「ちょっと加筆修正すれば本ができるかも」と思ったんですけど、甘かったですね。結局、ほとんど書き直しました(笑)。というのも、パンデミックの最中、リアルタイムで語りかけていた文章を、そのまま本の縦書きに落とし込むと違和感があったものを、本のかたちにふさわしい言葉に置き換えていったので、書きおろしに近い一冊になりました。


―『ピンヒールは〜』の頃と比べて、「働き方」や「ケア」に対する考え方はどう変わりましたか?
かつての私は、落ち込んでいても、体調が悪くても、「気持ちでなんとかなる」と本気で思っていたから、夜遅くまで仕事して、睡眠3、4時間でも翌日早朝から撮影へ行く、みたいな生活をしていました。楽しい遊びの誘いも、やりたい仕事も全部引き受けて。でも、人間の心と体ってそんなに頑丈じゃないですよね。大怪我をして、半年ほど自力で歩けなくて、思うように仕事ができないことがあったんです。その時に心と体のメインテナンスの必要性を痛感しました。それが教訓になったはずなのに、体が回復するとまた以前と同じような生活に戻ってしまって。なかなか生き方を変えるきっかけがなかったところに、2020年、コロナのパンデミックで強制的にストップがかかった。そこから、「働く」と「ケア」のバランスを本気で考えるようになりました。
―コロナ禍では、自分自身との向き合い方をどう変えましたか?
私が暮らすアメリカはロックダウンの期間が1年半ぐらい続いたんですね。最初は「これっていつまで続くんだろう」という戸惑いや焦りもあったけれど、逆に「これは自分と向き合うチャンスかもしれない」と思い直すことで乗り切ろうと考えました。
それまでアメリカ国内外をあちこち飛び回っていた時間が空いたので自分は何者なのか、これからどう生きたいのか、そういったことを考える余白ができて。そこで感じたこと、気づいたことが『今日もよく生きた』のベースにもなっています。
―本の中では「やらないことリスト」を作る話も興味深かったです。ストレスとの付き合い方は、どうやって見つけていったのでしょう?
ざっくり言うと、自分の感情とちゃんと接続するようになったことが大きいと思います。それまでは、どこか心にひっかかることがあっても心の余裕がなかったから受け流していたと思います。たとえば、他人に「なんで結婚しないの?」と言われたとき、自分がなぜ引っかかりを感じるのか、自分の感情とちゃんと接続して立ち止まって考えるようになりました。「私はこういう考え方が嫌なんだな」「こういう人間関係は自分を傷つけることになる」と認識したことが第一歩でした。そうやって嫌だと気がついたことは「やらないことリスト」に入れて、そこから距離を取るようにしています。
我慢が評価される日本社会ですが、しなくていい我慢もあると思います。無理して、自分を嫌な気持ちにさせることと付き合う必要もないのではと思います。

自分を支える道具箱を少しずつつくっていく。

―カウンセリングに通い始めたことも自分を見つめる大きな転機になったとか。
そうですね。40歳になる手前で、「これはちょっとヤバいぞ」と思うことがあって。恋人と別れ、大きなプロジェクトが終わって、燃え尽き症候群のような状態になった時でした。それまでの私は常にパートナーがいて、問題があってもがむしゃらに働くことで見ないふりをしたりをしていたけれど、自分を走らせていたロジックの綻びに気がついてしまって「何をよりどころに生きていけばいいんだっけ?」となってしまったんですよね。
そこで初めてセラピーに行って、自分の過去のトラウマや思考の癖をほどいていく作業を始めました。だから、いきなり「自分と向き合うぞ!」と勇ましくスタートしたわけじゃなくて、「逃げ続けてきたけど、もう逃げ切れないな…」と思った結果ですね。
―自分と向き合うようになって生きやすくなりましたか?
どうだろう。正直「全部が解決して生きやすくなりました!」とは全然言えない(笑)。40代に抱えていた悩みはそれなりに整理されたけれど、今度はホルモンの揺らぎや親の介護など、50代の課題が次々と出てきた。でも人生ってきっとそういうものなんですよね。
ただ、自分の機嫌の取り方は少しずつ分かって来ます。たとえば、すごく落ち込んでいる時。昔の私なら「飲みに行ってぱーっと忘れよう!」の一辺倒ですが、病気や怪我をして、遊びに行くという逃げ道がなくなる時もある。
そういう時に、無理に気を紛らわさなくてもいいかと思って、とことん布団の中でうじうじ、めそめそしてみたんです。飽きるまで落ち込もうって(笑)。しばらくやっていたらある瞬間に「お腹空いた〜。おいしいもの食べたい」とふっと切り替わったんですね。その時に自分でご飯を作って食べる行為もひとつのセルフケアだなと思えたし、嫌な気持ちもとことん味わう方法論もあると気がつきました。
―本の中で、「街で出会った人々から教えてもらい、少しずつ築き上げたセルフケア、セルフラブの道具箱のおかげで、なんとか自分らしく生き抜いてきた」と書かれていたのが印象的で。
昔、戦場ジャーナリストの友人が「戦地から帰ってきた後、すべてがグレーに見える」と言ってたんです。「そんな時どうするの?」と聞いたら、「ものすごく悲しい音楽をかけて、スコッチを飲みながら自己憐憫にどっぷり浸る」と。それを聞いて、「ああ、どんな人にも、自分を守るための儀式みたいなものがあるんだな」と腑に落ちたんです。
だから、インタビューの仕事で話を聞いた人たち、NYで出会った人たちとの交流の中で、みんなのセルフケアの実践を集め、少しずつ、自分なりのセルフケア/セルフラブのツールボックスを育ててきた感じです。
自分の機嫌を取るツールはいろいろありますが、体の緊張感を解いたり、息を深くするために香りは有効だなと思っています。以前、体調を崩して、ご飯がおいしく感じられない時期があったんですね。食べる楽しみが奪われると、本当に心も萎えてしまうなと気づいて。そんな時、まずお茶をゆっくり淹れて香りを楽しむとか、匂いを入り口に自分を整えることが多かった気がします。それから、「自分をケアするための香り」を取り入れるようになりました。旅に出る時は、髪にも体にも使えるエブリデイオイルを荷物に入れています。


消毒薬のきつい匂いとか、他人の残していった匂いが苦手で、出張先のホテルで匂いが気になる時はパロサントを焚いています。
私は文字に書き出すのが好きで、「Asana」というアプリと合わせて、手書きのToDo リストを作るのが好きですね。締切が迫っているときや、今日中に終わらせたいことは必ず書き出して、朝メールをチェックしながら「今日はこれをやる」と整理する。ToDoをひとつずつ消していくのが好きで、あの達成感がモチベーションになるんですよね。ただ達成できない目標を立てて、できないと自分をいじめてしまうことがあるので要注意です。
ノートは、自分が主宰しているコミュニティ「sakumag」で制作したオリジナルのものを使っています。私は新しく物を作ることに少し抵抗があって、sakumagでは基本的に“余っているものを活かす”形でものづくりをしているのですが中越パルプさんが竹林整備で出る竹を原料にした紙を作っていると知り、竹紙で手帳を作ってもらいました。
愛用の万年筆はドイツのブランド「カヴェコ」。小さくて持ち運びやすく、書き心地もよくて、価格も手頃。実用性とデザインのバランスがすごく好きです。


セルフケアの先にある、支え合う社会という希望。

―「しんどい」「つらい」と感じていても、なかなか弱音を吐けずに頑張り続けてしまう人も多いと思います。そういう人たちに声をかけるとしたら?
どんなに成功してキラキラして見える人でも、みんな、それぞれのしんどさや悲しみを抱えて生きているんだということはわかっていてほしいです。「しんどい」「つらい」と思っている自分を恥ずかしがらなくていいし、弱音を吐くことで楽になることもある。
「いつも元気でいなきゃ」と自分を追い込みすぎないこと。私も以前は、元気な自分だけを見せようと思っていたこともありますが、誰かが元気じゃない自分を開示することで安心してくれる人がいることにも気がついて。
1日ベッドの中にいて何もできなくても、今日一日を「よく生きた」と言えたらいい。辛いこと、悲しいことは絶対に起きるのだから、そういう時の自分の機嫌の取り方や、体と心のメンテナンス方法をちょっとずつ増やしていく。そして、無理な時は「助けて」と言えるようになる。それが、これからの長い人生を歩いていくために大事なことかなって思います。
―本では、自分自身をケアすることだけでなく、近所の人やコミュニティの中で支え合うことの大切さにも触れられていました。セルフケアのその先にある、これからの「みんなのケアのかたち」について、佐久間さんが思い描いている理想像があれば伺いたいです。
誰もが辛い時、「ヘルプ!」と言える社会になったらいいですよね。私も助けてって言うのは得意じゃないんですが、実はこの取材の直前に足を負傷してしまって。日常や出張先で日々たくさんの人に支えられたり、助けてもらう場面が増えて、「あ、頼っていいんだ」と自然に思えるようになりました。
近所やコミュニティについていえば、地域のコーヒーショップやバーがハブになって、地震や大雨、停電の時、お店の人と常連さんそれぞれが「〇〇さん大丈夫?」と自然に連絡し合えるような、日常的な支え合いがあるってすごく大事だと思うんです。たとえば、ここ(佐久間さんのお気に入りの本屋〈CITY LIGHT BOOKS〉)みたいに。
私が住んでいるNYは「弱肉強食、食うか食われるかの世界だ!」って思ってる人もいるんだけど、私が知ってるNYはそうじゃなくて、たとえば大停電があった時、「あのおばあちゃん一人で大丈夫かな?」って私が思う頃には、もうすでに何人かが駆けつけてるみたいな、自然に助け合うところが好きなんです。
資本主義社会の中では「みんなライバル」という感覚になりがちだけど、私はそういう世界では生きたくない。老いも喪失も、誰にでも等しく起きること。だから、恐れて一人で抱え込むより、「みんなで手を取り合って行こうよ」と言える社会であってほしいなと思います。

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